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【前編】最近、ようやくカレーが美味しいと思えた話 〜当事者できょうだい児な私の自分語り〜


水曜日、夕食のカレーが
大嫌いだった

 もう、何十年も前の話。
 私が小学生だった当時はまだ、教育の現場に「発達障害」という概念が浸透してなかった。

 ADHD気質で、忘れ物が顕著で、お道具箱はカオスで、時々教室を飛び出して行方不明になったりする、服装や髪に無頓着で口だけが達者な姉の私と、自閉症スペクトラムのなかでも高機能自閉気質が強く、言葉が中々出てこず、予定変更パニックに陥っては、突然奇声をあげて、教室の窓を開けて飛び降りようとする弟。

 親は、息子が抱える問題の方が深刻だと判断したのか、娘が抱える問題が相対的にみて小さい物と感じたのか分かないが、姉で娘の私には「貴女はしっかりしている。(弟)くんは大変でとてもかわいそう。だから貴女は我慢しなさい」と、ことあるごとに言った。

 今考えれば、口達者で小学校中学年にしてセールスマンを追い返す姿をみたら、「しっかりした娘」と親が思っても不思議ではない。

 毎週、水曜日の夕食はカレーだった。
 水曜日は、弟と母が夜に療育機関に行く日。
 ヒステリックな祖母と二人でカレーを温めて食べなきゃいけない日。

「お父さんもお母さんも(弟)くんも頑張ってるのに、貴女はすぐに拗ねたり、わざと忘れ物をしたりして困らせようとしている、だらしない」と、なじられながらカレーを食べなきゃいけない日。

 寂しくて悔しくて、忘れ物が多くて、だらしない自分が嫌になる。
 悲しい気持ちでいっぱいになって、カレーが大嫌いになった。


普通に進学して、
就職できたが…

 そこから月日は流れ、私は、中高一貫の女子校に進学し、演劇や映画専攻の美大に入学。(ここらへんのエピソードも語りたいが、長くなるので割愛)
 
 一方、弟は学力はむしろ高いほうなので、私より偏差値の高い、割と名門の私立中高一貫校に入学したものの、教師からの理解も、クラスメートからの理解も得ることができず、退学してサポート校に通い、専門学校行って、短大を卒業した。

 そして、私は新卒で入社。
 正社員として、社会人デビュー。会社自体はとても私の性に合っていて、「変わり者」な私を割と上司や同僚は受け入れてくれた。

 だが、しかし。

 稟議書や契約書などの管理ができない。
 商品サンプルの管理ができない。
 書類がそもそも書けない。
 机の上の汚さで「ああ、ここがあっちゃんの席ね」と判断されるレベル。
 商談では多弁で早口すぎて取引先に怒られる。
 それ以外でも、だいぶ会社には迷惑をかけてしまっていた。
 
 ただ、「あ、それでも自分はやっぱ口達者でプレゼンだけならどうにかできるんだ」ということを学べたのはありがたかったこと。
 そんな私も、一つの事業部を任されることになった。
 ここで、問題発生。
 今までできなかった書類やサンプル管理はもちろん、「管理職」という状態だけに、周りの人の管理ができない。
 進捗が脳内でごちゃごちゃ。

 結局鬱になり、職場に行くこともできなくなって退職した。
 以降は、どうにかWebの静的言語を習得し、行き当たりばったりなフリーランスとして食っている。

 一方、弟は、一般枠ではバイトの面接で落ちまくり、親がようやく意を決して発達障害の確定診断を弟に受けさせて、障害枠でどうにか働けるように手配した。
 チャレンジ雇用では、問題なく働くことができた弟。

 だがしかし、ここでも問題発生。
 いざ、障害枠雇用になった時、与えられた仕事自体はこなせたものの、イレギュラーなことが発生するたびに予定変更パニックで混乱する弟。
 ジョブコーチは付いていたものの、企業とうまく連携ができておらず、業を煮やした企業の直属上司が、弟の問題行動を箇条書きにし、「もう二度とこんなことはしません。もししたら、クビになっても文句を言いません」という旨の誓約書を書かせようとした。

 今まで、問題行動があったとして、その内容は全くジョブコーチに伝わってなかった。

 問題行動に、全く自覚がなかった弟は、激しく混乱し、泣きながら土下座をしたりしたが、執拗に誓約書にサインを迫る上司。
 混乱し、ジョブコーチと連絡が取れず、会社を飛び出し、そのジョブコーチがいる施設へ駆け込んだ。
 本人の特性を考えたら致し方ないこととはいえ、会社に迷惑をかけ、無断で会社を飛び出したことは事実。

 結局、弟は退職した。

 強いトラウマを抱えて。

 弟には、障害枠で働くための行動認知が足りていなかったのだ。


祖母の法事で気づく。
「あれ?もしかして、私、発達障害なんじゃないか?」

 そんな最中、前述したヒステリックな祖母が亡くなった。91歳の大往生。
 元々親戚とは疎遠だったが、この時初めて一堂に会した。

 私はその頃、一人暮らし歴も10年弱くらい。実家とは距離を置いていた。
「しばらく会わないうちに……」
 びっくりした。時間通りに親族が集まらないわ、多弁が炸裂して会話になってないわ……「なんか、ウチの親族おかしくね?」と感じた。

 ちょうどその頃、自分に所謂「生きづらさ」を感じてて、弟はすでに発達障害であることが判明してて、「もしかして自分もそうかも…」と思っていた時期。

「ああああ、会社や今まで友達にかけてた迷惑ってこんな感じか!」と心の中のヘレンケラーが「Water」と叫ぶような衝撃が親族とのやりとりで走った。

 みんな、悪気はない。
 ただ、視野がおそろしく狭い。勿論、自分も含めて。

 そして、ヒステリックな祖母のことを鑑みると、、祖母は料理、掃除、洗濯ができない。小麦粉がダマになった「すいとん」しか作れない。
 極度の味覚過敏で、食べられるものの方が少ない。
 気に入らないことがあると、すぐにキレる。

 あれ……これって、所謂「ジャイアン型ADHD」の典型では……?

 そして、私は速攻、成人発達障害を診ることができる病院を探し、初診の予約を取った。



【後編】最近、ようやくカレーが美味しいと思えた話 〜当事者できょうだい児な私の自分語り〜
http://blog-kabukimono.blogspot.jp/2016/09/13.html


投稿者:あっちゃん


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